りんちゃんの一周忌
6月25日
今日は、大好きだったりんちゃんの一周忌です。
11歳9カ月、昨年の今日、りんちゃんは旅立ちました。
自分の子どものように、愛していました。
その気持ちは、今でも変わることはありません。
りんちゃんは、牧草が大好きで、とっても元気な男のコ。特に大きな病気もなく7歳を迎えました。
でもその後しばらくして、鼻水とくしゃみがひどくなり、病院に通っても、薬を変えても、治りませんでした。
8歳を過ぎて、ぼーっとすることが多くなり、食が細くなってきて、鼻水とくしゃみも続いて体力を奪っているようでした。
年もとってきてるし、、、と思いつつもあきらめられず、漢方を処方してくれる病院を見つけて通い出しました。
しばらくすると、食欲が戻り、目の輝きを取り戻し、鼻水くしゃみは治りませんでしたが、上手に病気と闘っている、共存してる、といった感じになりました。
以前のように、元気に過ごせるようになったんです。
めざせ、10歳!
左だけだった鼻水鼻詰まり、くしゃみが右にも出る時があり、両方の鼻が詰まってしまう時もあり、とても辛そうな時もありました。
それでも持ち直したりんちゃん、スゴイなって思います。
無事に10歳を迎え、11歳も迎え、その年の年末、顎の毛の中の皮膚が腫れていて、できものができているのを見つけました。
1月の半ばに検査結果が出て、膿瘍かと思っていましたが、結果は癌でした。
高齢での全身麻酔の手術はリスクが高すぎると言われました。
でも癌は待ってくれません。
どんどん大きくなる癌を前に、癌に効くもの、全身麻酔以外での処置の方法など、毎日毎日一生懸命調べたり、いろんな病院に電話しました。
2月の初めに、1件だけ、部分麻酔で切除できるかも、と言ってくれた病院がありました。
条件は、私が抱っこした状態で手術すること。
癌は、人の手のこぶしくらいの大きさになっていました。
2月中旬、部分麻酔で手術をしました。
手術中も時々鼻水を綿棒で取りながら、心拍数を確認しながら、先生の手術に支障が出ないように、震えずに、しっかりと、りんちゃんを抱いて。
無事に手術を終え、とにかくほっとしたのを覚えています。
回復していったのもつかのま、3月に肝臓の数値が跳ね上がり、検査できる範囲の数値を超えてしまいました。
肝性眼振がひどく、自分で動くこと食べることが少ししかできなくなりました。
初めての強制給餌を開始。お薬の量も半端なかったです。
平日は、仕事のお昼休みに一度帰り、強制給餌と水分補給とお薬を飲ませて、走って戻ってカロリーメイトでお昼ごはん。
私がお昼にどうしても戻れない時は、旦那が戻ってくれました。
週末は毎週病院に通う日々でした。
心臓も徐々に悪くなっていき、鼻水鼻詰まりもひどくなる一方で、左はもう、息ができていないようでした。
右も詰まってしまう日はとても苦しそうで、楽にしてあげられなくてごめんね、と何度泣いたかわかりません。
昨年の今日は、朝5時半の強制給餌は少ししか食べず、7時半も少ししか食べませんでした。
それでもお昼は、いいスピードでしっかり食べてくれたんです。
夕方6時も、しっかり食べてくれました。
その後、私たちも夕飯を食べ終わりました。
少ししたらいつものように、りんちゃんの横に寝そべって、なでなでしたり、目や鼻のお手入れをしようと思っていた時、りんちゃんの息づかいが荒くなりました。
撫でたりさすったりして、病院行くかどうしようかと言いながら抱っこして。
ほんの少しすると、りんちゃんは私の腕の中で、眠るように旅立っていきました。
きっとりんちゃんは、私たちが仕事が終わって帰ってきて、夜ごはんを食べ終わるのを待っていてくれてたんだと思います。
後悔が、いっぱいあります。
もっともっと、りんちゃんにしてあげたかったことが、いっぱいあります。
晩年は、私にくっついて横になることが多く、なでなでしたり抱っこしたりすると、歯をカチカチ鳴らしてうれしさを表現していました。
私の顔もよくなめて、愛情表現してくれたりんちゃん。
病院の先生が、
「しっかり食べることができて旅立ったのならば、それは寿命で、りんちゃんは、いのちをまっとうしたんですね」
と、一緒に泣きながら話してくれました。
もう一度、りんちゃんに会いたいです。
昨年の今日から、りんちゃんのことを思わなかった日は1日もありません。
りんちゃんを抱きしめて、ありがとうをいっぱい伝えたいです。
今日はいっぱい泣きました。
りんちゃんのことをいっぱい思った一周忌でした。
とってもいい子で、かわいくて、いろんな困難を乗り越えて、ほんとにいっぱいがんばったりんちゃん。
11年9カ月、一緒にいてくれて、ほんとうにほんとうにありがとう。
いままでも、これからも、ずっとずっと大好きだよ。